引き受け力の話

昨日、ボランティア活堂やNPOみたいないわゆる社会貢献活動的なことをやってる団体の宿泊合宿なるものをやっていた。

たまたま僕の家の近くだったので、なんとなーく行ってみたんだけど、結構前から考えてたことの問題に今、自分自身が囚われてるなぁと実感した。

「自分の問題として引き受ける力」が僕はとても狭いように思う。

僕は自分自身に興味があることしかやってないし、興味がなくなればやめていきたいなと思ってる。
(やめかたが雑すぎて周りに迷惑をかけてるんだけどさ)

それに比べて、社会貢献活動をやる彼らは、「誰かに必要とされること」のプライオリティが高いなと感じた。
話をしていて、「でも結局自分のためなんですよねーアハハ」みたいなことを言っているんだけど、それはどうも照れ隠しにしか見えないというか、俺の「自分のため」ということと、彼らの「自分のため」は違う気がする。

彼らの「結局は自分のため」っていうのは、「マジ勉強してないっすわー」って言って影でテスト勉強を一生懸命にこなしている姿に見えた。

多分、そこにひがんでるんだと思う。その一方で、こう、純粋すぎて怖い。

こいつら、透明で真っ直ぐすぎる。
真っ直ぐ、いろんな社会の問題を「自分の問題として引き受け」てやがる。

それがダメってことではなくて、そういう力が世の中を変える力ってヤツになるんだろうと思うから必要だと思う。
ただ、頭ごなしにそれこそが最も大切だー!みたいなこと言うのはちょっと嫌だなぁと思った。

結局何も変わらず、「それはそれでいいんじゃねーの」とか思ってる自分は、本当に引き受け力がない。
それだけが分かった。