レポート提出のための書き溜め

完全にメモ用です。


ネットワークの階層化

今日、私たちはネットワークの中で生きていると言っても過言ではない。いつでもアクセスできる携帯電話を持ち、インターネットを通して世界中と24時間、365日繋がることが可能だ。また、2011年の3月に起きた、東日本大震災を通して、ますます、人と人の絆を大切にする傾向が強くなっている。

「絆」や「繋がり」、そして「ネットワーク」という言葉には、暗黙的に双方は対等の立場で接しているというイメージを持っているが、インターネットの普及や、ソーシャルネットワークサービス(SNS)の台頭で多くの人が参加することがネットワークの格差を生み出しているのではないかという疑問があった。

疑問の出発点は、インターネットのサービスである140字という制限の中で発言する簡易ブログ「twitter」や世界中で5億ユーザーを超え、日本でも1000万人のユーザがいる「Facebook」内での私の実感でからであった。それは、著名なユーザとそうでない一般のユーザの違いでたとえ同じような発言をしても反応が違っている点である。

ますます著名であるユーザは著名になっていき、そうでない一般のユーザが著名になっていくチャンスは失われていく。これからの世界はネットワークのハブにどれだけなれているかが直接、自分の評価につながるような社会になっていくであろうと思われる。

様々な人とのネットワークのハブになることが階層の上位になる一つの基準だとすると、こうした上層になりたい人は、ネットワークの構築に意識が向き、本来の関係を築き、そこから次への活動なりに行くことではなく、ネットワークを作ることだけが目的になってしまい、ネットワークの本来の良さ(協同すること、)を崩してしまうことになる。

発信し続けることは大切だが、インターネットで無数にいる発信者の中で価値を見出すには、やはり、どうやって見てもらうのかが大切。そのカギになるのが、「誰が拾ってくれるか」だと思う。これまで(現時点でも)テレビや新聞などのマスに働きかけるモノが機能することで、その発信者の価値を高めることができた。

発信者だけでなく、受け手もリテラシーというか、自分が何に興味をもっているかという認識は大切である。これまでのようにただ漫然とテレビで流れてくる情報を鵜呑みにするのではなく、自分が主体的に情報に向き合っていく能力が問われている時代だと思う。そういった情報を蓄積し、発信できることがこれからの個人の階層を形成する重要な要素になっていくのではないか。

ただ、いかに早く情報を得るかだけが評価の基準になるのもどうかと思うし、(それは他のメディアがやれって話だしさ)そこに自分なりの味付けができることが大切だと思うんだよなぁ。

インターネットはどちらかと言うとカウンターカルチャー的な要素で大きくなってきたんだけど、こうしてSNSのようなリアルな関係がインターネットに乗り込んでくると一気にリアルの空気になってしまうというか、リアルでやってる行動をしちゃう感じになりそうなんだよ(社長ってついてたらなんかこの人の言うこと偉い気がするとか)な。そうなると結局、どこに行っても職場の○○さんには分かられるし、分かんないようにネットでの行動を隠してたらそれはそれで怪しまれるしってなりそう。っていうか俺が現になりそう。