北谷にある、クリエイターズレジデンスが12月27日をもって、閉店するそうです。
沖縄のコワーキングスペースは、クリエイターズレジデンス一択 - 焼肉リア充 みたいな記事を書いていただけに、とても残念です。
(と言っても僕も最近は足が遠のいていたので、こんなん言うぐらいだったら行けよというお話ですが…)
ギークハウス沖縄も、今一年半をすぎて、そろそろ二年になることもあって、こうした場作りの大切さ、そして難しさについては考えさせられることが多いです。
「場所がある」だけだと忘れてしまう
クリエイターズレジデンスができたのは、今年の2月1日で当時はとても多くの人が出入りしていたと思います(僕もその中のひとりでした)。新しいハコ(という言い方は失礼かな…)に人は魅了されます。それが「新しい」と認知されているまでは。
時間が経つと、その場所が至極当然のようにあるように感じることが多くなります。ハコだけの魅了では人を惹きつけることができなくなる。となると、そのハコの中で「イベント」を行うことになります。そこで起こるイベントに惹かれ、人は集まってきます。
「イベント」で疲弊する
どんどんイベントを行うと、そこでの出会いなどがあり次につながることも多くなるかと思いますが、中の人からするとそこに力を入れ過ぎると、疲れちゃうよなぁと思います。
実際、ギー沖もそんな感じで盛り上げようとか思ってた時期があって、自分なりに頑張ったつもりでしたが、結局全部が嫌になって、やめちゃいました。あのときはなんで自分がこんなことしてるのかわからなくて、だけど時間と元気はとられていくのが納得いかなかったなぁと思いました。
いかにコミュニティを作り出すか
やっぱり、強いのは、コミュニティを作ることです。ハコやイベントだけじゃなくて、いい意味で居着いてくれる誰かの存在が一番大きいです。
ギー沖は、ギークハウスというコミュニティもありますし、ありがたいことに住人の皆さんが持つ関わりの中でも発信してくれることが多いので、大変助かっています。
ゆるいつながりは単発イベントで集まってフェースブックで友達申請、承認、イエーイ!とかいうものからは生まれないじゃないかなぁって思います。
なんとなくだけども連続的に時間を共有している人たちがいる場が残り続けるんだろうなぁとか思ったりもしてます。
コミュニティは長くは続かない。
コミュニティが大事だよねとか行っておきながら、続かないですよって書いちゃうのはどうかなって思うんですが、結構ここは最近強く思うところがあります。
ギークハウスのコミュニティも結構変わってきたと感じてる人は(特にギークハウスに何度か訪問された方とか)多いんじゃないかなぁと思います。僕は他のギークハウスはギークハウス元住吉しか知らないんですけども。
id:pha さんとかもそういうのを感じてるんじゃないかなぁと。
ある程度コミュニティが大きくなっちゃうと、今度はそのコミュニティに参加したくなる人達が増えていく気がします。なんというか、場とはちょっと違うんだよなぁって思ってるんですけど、うまくいえないなぁ。
けど、それは当然で、コミュニティの名前は同じであっても中の人たちはコロコロ変わってきちゃうことも多いわけだからそれも仕方ないことかなと。
ただ、そのコミュニティを残す/増やす がそのコミュニティの目的になってしまうと、終わってしまうんだろうなと思います。
(個人的には、同じニオイを方言や伝統芸能で感じてしまうんですが…。特に沖縄は…。)
なんとなく思うところあったので
書いてみたけど、全然ワケワカメになったので終了。あとで書くかもしれない。
2013/12/02 20:04 追記
「需要があれば誰かがまた立ち上げる」から「一時的にコミュニティ崩壊する」ことも許容してもいいんじゃないかなっていうのを @nakarxp さんのツイートから感じました。
— 家賃払いたくないおじさん@ピンク動画 (@kimihito_) 2013, 12月 2
2013/12/02 20:23 追記
- 新しい学問でも感じるっていう返信もらって、あー別にここに限った問題じゃねぇのかって思えた。