ほぼ、2ヶ月(もしかすると3ヶ月、それ以上かもしれない)ぶりに、ギー沖の皆とマトモに話せた(多少の会話もその間にはあったかもしれない)。どうしてこんな期間、話すことがなかったのか、なんとなく書きたくなったので書く。
みんなを話さなかったのは怖かったから。
もしかすると、僕よりも周囲の方が僕に怖がっていたのかもしれない。あのときの行動は本当に迷惑をかけた。
どうして扱ったらいいかわからない的なことも言われたし、大げさな表現だと自覚してるけど、自分自身もどうしたらいいかわからなかった。
今思えば、被害妄想甚だしいんだけども、ただ周囲が怖くて、自分から離れていってほしい。自分のことを話さないでほしい。どうせ見てないところでも話しているだろう。とかもたまに思ってた。
自意識過剰なだけ
単に自分の自意識が強すぎるだけなんだけど、もうどこかでも誰かが自分の文句を言ってると思ってしまって勝手に怒ったりしていた。
どうせ皆、僕なんかいなくなればいいと思ってる。
どんどんでかくなってくるこの感じは、良かれと思って向かってきてくれる皆を跳ね飛ばし、外に針を立てて内側に籠る方向に加速していた。
矛先が外に向かっていた
ふらっと呟いた誰かのツイートにキレたり、自分の問題を他人のせいにしたり、意味のわからないこだわりで周りを振り回したり、本当にここはひどかったと思う。
本当はかまってほしかっただけ
この一言に尽きる。めんどくさければ見てくれる。心の奥ではそう思ってたんだろうなぁと思う。
皆と話せて闇が少し取れた
皆と話すことができて、そういう闇の部分は少し取れかかってる気がしてきた。たわいない話だったし、もしかしたら周りは気を遣ってくれたのかもしれないけど、本当に嬉しかった。やっぱり外への接続を確認することでパッと開けたような気がした。
マサカリに耐える
関係ないかもしれないけど、エンジニア界隈で出てくるマサカリの耐性について、僕は本当にそういう部分がないなぁと思う。
プログラムの書き方が悪いと指摘されているはずなのに、「こんなプログラムを書く僕が悪い」に変換してしまう。
こうしたことを書ける間は、この二つが全く別であることをわかっているんだけども、時間が経つとそれがごちゃごちゃになってしまう。
闇アドベントカレンダーのエントリの中で、何度かマサカリをくらってもっと頑張ろうと思えたっていうの、そこがどうして頑張ろうと思えるのか不思議に感じることがある。
そういうマサカリ(だと考えているもの)を受けるときに、みんなは本当に頑張ろうと思てるんだろうか。
マサカリ耐性ないとエンジニアには(極論を言うと)向いてないって話、id:deeeki さんがつぶやいていたけど、どういうマインドなのかすごく知りたい。
もっと書きたいけど
眠いのでこれで終わり。あとで追記する。
追記
マサカリ系の話はこのエントリを見て思いました。
エンジニアの心の闇を祓うマサカリ療法 - seri::diary
2013/12/14 追記
マサカリ投げてる皆超イキイキしてる #ギークハウス沖縄
— 家賃払いたくないおじさん@ピンク動画 (@kimihito_) 2013, 12月 13
マサカリ怖いとか書いたけど、マサカリ投げる側からすれば、いちいち受け手に気を遣って投げるとかお膳立てしすぎな気がしてきた。投げてくれてること自体にありがたみを忘れてたなぁと思いました。
— 家賃払いたくないおじさん@ピンク動画 (@kimihito_) 2013, 12月 13