これからの選択を減らすためにつまみ食いしていくこと

(不定期コラム) 失敗しても構わないから体験し、次に活かそう — NAL’s blog @ 琉球大学情報工学科

ここで言ってることと同じで、表現の仕方を変えてるだけ感あるけど、なんとなく書いておこうと思ったので。

動かないことがリスクなのはなんでかなーって考えた。

個人的にこれからの選択を迫られたときに、これまでの蓄積からでしか選択できないからなんじゃないかと。

蓄積って何から作られるかって何からでも作れると思う。人から聞いたとか、本で読んだとか、ネットで調べたとか。でも一番残ってるのは五感で触れたものな気がする。

アーロン・シュワルツとかは、本から知れるから別に人に会わなくてもいいじゃね?的なこと言ってたような気がするし、個人的には本読んでることも蓄積の1つじゃねって思うんだけど。

知ることで可能性が広がることもあるんだろうけど、縮んでいくこともあるんじゃないかと思っていて、その縮んでいくってことも大切なことの1つな気がするかなぁとか思ったりする。

考えて行動しなきゃ死ぬとかじゃない限り、考えなくていいなら考える必要ないんじゃないだろうか。

話ずれたかも。

受動的でいてもそういう環境下に自分を置くことさえできれば、勝手にまわってくような気がするんだよなーとかも上記URLを見て思ったり。

尻すぼみになって書くの飽きてきちゃったのでこんなところです。上のエントリ、全体的にいい話すぎるから読んでみるといいと思います。