たとえば、会話をやめる。

自分自身、何かを喋る≒自分の意見を押し通す みたいな感じになっているような気がしていて、とても嫌だなぁと思う。

そんな一方で、一ヶ月近く、あんまり話をせずに、自室にこもったり、人気のない場所でもくもくと作業していると、自然と心がラクになっている気がする。

雑談、最初は必要であると決めつけた上で、どう雑談広がるようにしたらいいかなぁと思ったりもしていたけども、今は逆にいらないかなぁとも思ったりしてる。

そうなるとそっけない感じになってしまうから、基本的に外の人とのやりとりは全部敬語でするようにしてるけど、それが精神衛生上(今のところは)良い。距離を置けている感じがしているところが。

思うところはたくさんあるし、そういうのは発信したほうがいいという意見もあるんだろうけど、基本的にそこで起こる衝突は結構、無意味に近いものじゃないかなぁと思う。

と書いてみたけど、多分そういうの言う人がたくさんいるので、たくさんいるならやんなくていいやってなってるんだろうなと思った。

コミュニケーションはとてもむずかしいし、コミュニケーションがベースとなって作られていくコミュニティもとてもむずかしい。

基本的に、コミュニケーションもコミュニティもなくなっていくといいなぁと思ってもいる。

なんの結論もないけども、作業のやる気が出なかったので書いた。

うーーーポエってるなぁ…orz

関係ないリンク

小野和俊のブログ:HRTの原則 ~ソフトウェア開発はバーでしっとり語り合うように ~

世界に蔓延する解決病 | 催眠コミュニケーション思考メモ

2014年2月23日Part1「超絶!ポエム化社会」 (文化系トークラジオ Life)

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