評価経済社会は機能するんだろうけど…雑感。

[[]]ニコ生でタイムシフトしてた岡田斗司夫講演「いい人」戦略セミナー - ニコニコ生放送を見た。

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ざっくり言うと、損得勘定的に考えて「いい人」でいることはこれからの社会では重要となる。ポジティブでいることもネガティブでいることも本質的にはネガティブ/ポジティブでいることは自分にとって得だからやっているわけで、何も先天的にそうなったわけじゃない。であれば戦略的に「いい人」を行うことも可能だし、戦略的な「いい人」がたくさんいれば社会だって良くなるよー

って感じだった(と思ってる)。

やらない善よりやる偽善ってことだろうか。

岡田さんは、

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている


という本を書いている(と思うよ、読んでないんだけどタイトルで勝手に判断してもうた…)通り、これからの社会は評価が大切になってくるということをおっしゃっている。ただ単に評価されるだけじゃなくて、自分も相手を評価できることも指している。

僕の実感としても、twitterやブログがなければ、今の自分の環境には出会えなかっただろうし、こんなクソッタレな文章でもとりあえず書いてみることで、変化が起こることもある。こんな僕が言うのもアレだけど、やっぱりブログは書いていた方が「得」だと思うし、twitterなども必要だと思う。

ただ、最近になってずーっと悩んでいることは、「そういう発信力の高さ」ってものは、一般的な情報しか知りえない僕らのような人間と、スペシャリストとの間には入ってくる情報の差は確実にあって、なんというか、スタートの時点で違うと思うんだよなぁって感じてる。

あとは、いい人戦略的なことでふと思ったんだけど、いい人戦略でインターネットを使いこなす人たちの本音というか、ホントのところ的なものが今より薄れていくんじゃないかなぁとか思った。
(その時点でもう俺の頭はこういうことなんだろうけどさー。)

インターネットに真実があるとか思ってないつもりだけど、有名人のtwitterアカウントはその有名人がやってるもんだって思ってフォローしてるし、何か気になったらすぐにググッてそれを鵜呑みにしてる自分がいるなぁ。完全にそれはネット中毒なんだよなぁとか思ったりしてます。

しかし、一方ではやっぱり発信力の高さ云々じゃなくて、どっかで見てる人はいるわけで、そういう人にものすごく助けられてるってのも事実なんだよなぁ。だからやめられないってのもある。ネットがないと絶対そういうことって起きないじゃん!?(とか思ってしまった自分はやっぱりネット中毒なんだなぁ)

それに、そもそもインターネットにホントのところが残ってなくてはいけないってことも分かんないしね。もしかすると全部嘘なのかもしれない。

でもなぁ、全部が嘘だったとしても、僕がインターネットに抱いてるものってのはホントだしなぁとか思ってしまったときにこの歌詞が出てきた。

もしも全てが嘘で ただつじつま合わせで
いつか慣ついていた猫は お腹すかしていただけで
すぐにパチンと音がして 弾けてしまう幻でも
手のひらがまだ暖かい

                        the pillows - ストレンジカメレオン

まとまりないし、すんげーもやもやしてるけど、このもやもやが残ればいいなと思って書いてみました。

参考
f:id:kimihito:20111225220814j:image
現代のオトナが捨てるべきこと 『ネット、トレード、自分探し』 | 日刊SPA!